砂川恵理歌 オフィシャルウェブサイト

2009.12.16(水) №126
神奈川 横浜市医師会看護専門学校

この看護学校は、「一粒の種」ができるきっかけになった、看護師の高橋尚子さんの出身校です。 この学校の学園祭「和顔祭」の講演会に、高橋尚子さんと共に私もお招きいただきました。 看護職を目指す学生たちに向けて、歌とお話を、という大役をお任せいただいたのです。

















たくさんの学生さんたちが講堂に集まり、まず高橋さんのお話から会が始まりました。
看護師になるまでのお話、実習での話、看護師になってからの話など、どれもとても興味深い内容で、 私だけでなく会場全体がその話に耳を澄ませていました。



「看護は心身とも苦しさがあるけれど、だからこそ喜びがある」
言葉ではわかっていたつもりでしたが、高橋さんの実体験をともなったお話にはとても説得力がありました。


「一粒の種」という歌は、余命わずかのがん患者・中島正人さんが、この高橋さんに
「一粒の種でいいから生きていたい」
と言い残したことがきっかけで生まれました。
高橋さんは、もちろん中島さんの家族でもなく、高橋さんにとってはたくさんいる担当患者の一人。 でも、中島さんが亡くなった後、その言葉を世に残そうと思い、歌にまでしようというエネルギーを使ったのは、 初めて聞くととても不思議な印象を持つかもしれません。
このことに関して、私自身は普段から高橋さんと接していて、こう感じています。 中島さんが高橋さんにとって特別だったからではなく、 高橋さんにとってはごく当たり前のことだったのかもしれない、と。 日々、命とただ向き合うだけでなく、その患者さんのこれまでとこれから、 その環境も含めてすべて包みこむような愛情をもつ看護師さんだからこそ、出会った言葉だったのかもしれない、と。
中島さんの言葉の重さがもちろんあってこそ、ですが、そこに高橋さんという人がいて、 さらに、たまたまたくさんの偶然が重なった結果が、今につながっているのではないかと思っているのです。

高橋さんによる「一粒の種」ができるまでのお話は、看護師こそ、技術や知識はもちろんですが、 その「心」が大切だということを切々と語っていたように感じています。
その話を聞く学生さんたちの真剣な表情や会場の熱気が、とても素晴らしい講演だったことを物語っていました。



続いての私の講演では、私が歌手になるまでのお話と「一粒の種」に出会ってからの話に絞ってお話させていただきました。
高橋さんの話の後、ということもあり、「一粒の種」を丁寧に丁寧に歌わせていただきました。

これから看護の道へ進む皆さんの心に、「一粒の種」が何かを残せたのならとてもうれしく思います。









2009年のsmile seed projectの最後は、私自身も原点を考えることができた、とてもいい機会でした。









では、また次のsmile seed projectで。