砂川恵理歌 オフィシャルウェブサイト

2009.7.26(日) №49
東京都 ホスピスケア研究会

この日は、東京、虎ノ門の発明会館ホールで行われた「ホスピスケア研究会」
の定例研究会にて、お昼休みの時間をいただいてのsmile seed projectでした。

「ホスピスケア研究会」とは、末期がん患者の看護に関わる医療関係者、
主に看護師向けの研究会です。
法人ではなく、全国の趣旨に賛同して入会した会員が集まる勉強会で
事務局ではがん患者やその家族のための無料電話相談なども行っています。

この研究会とのご縁は、「一粒の種」のポエムを書いた看護師・高橋尚子さんが
作ってくださいました。
高橋さんも以前よりこの研究会の会員で、この日ももちろん私のライブために
お力添えをいただきました。

この日も全国から多くの会員の方が自費で勉強に来られていて、お昼休みとはいえ
真剣な空気が会場いっぱいに充満していました。
ホスピスの最前線にいる医療関係者の皆さんを前に、いつものsmile seed project
とはまったく異なる雰囲気に圧倒されながらコンサートをはじめました。

自己紹介をし、私の経歴もゆっくりお話させていただきました。
私が歌手になる夢を持って10代の時に東京に住んでいたこと。
歌手にはなれず沖縄に帰って介護職に就いたこと。
そして夢だった歌手になってからも大いに悩んだこと。
そしてだからこそ今、大切な「一粒の種」という曲に出会えて
今日このホスピスケア研究会にもお邪魔させていただいたこと。
私の長い話にも真剣にお付き合いくださり、「一粒の種」もしっかり聞いて
いただきました。

お昼休みを削って耳を傾けてくださった皆さん、そしてこの日のスケジュールや
機材をご調整いただいた事務局の平野さん、スタッフの皆さん、そしてもちろん
高橋尚子さん、ありがとうございました。















ライブが終わった後、若い女性の看護師さんが私に話しかけてくださいました。
彼女は、10年越しの念願かない、ホスピスの現場で働いているそうです。
しかし、入りたくて入った現場にも関わらず、現場の大変さに圧倒され
悩む毎日とのこと。そして上司から、仕事を続けるか辞めるか選択を迫られてる、と。
ホスピスに関しては、当然私は聞きかじった知識しかなく、私にできることは
お話を聞かせていただくことだけでした。

最後に彼女にこう聞かれました。
「砂川さんは、大変なこともあっただろうに、なんで歌手を辞めないで 続けてこれたんですか?」と。

少し考えてしまいましたが、でも、出てきた言葉はシンプルでした。
「やっぱり歌うことが好きだからです」
とお答えさせていただきました。

短い立ち話での出来事ですが、とても心に残った会話でした。
彼女の必死な様子から、ホスピスの現場には計り知れない壮絶な
命のドラマがあり、関わる人々の計り知れない葛藤があることを
あらためて感じました。
彼女がその後どのような結論をだされるかはわかりません。
でも、彼女に今度再会する機会があれば、お互い笑顔でまた会いたいなあと
思っています。














「一粒の種」すべてのきっかけは、がんで46歳で亡くなった中島正人さんが
遺した言葉がもとになって生まれました。
中島正人さんのお父様と、正人さんの言葉を受け取った看護師の高橋尚子さんは
今でも文通を続けていらっしゃるそうです。
体を看るだけでなく、心を通わせ、お別れをしてからもそのご縁を続けて
いらっしゃる。
どんなに技術が進歩しても、人が人を看るという基本は永遠に変わらず、
そこには人と人との心の交わりが必ず存在します。
「一粒の種」は、まさにその心の交わりから生まれた楽曲です。
高橋尚子さんをはじめ、看護のプロであり、患者のために日々自分を磨く
志の高い方々へ、この歌をまたお届けできたことを身に余るほど光栄に思っています。


この場を借りて、
医療の現場から生まれたこの歌に、砂川恵理歌が巡り合わせていただいた
ご縁と奇跡にあらためて感謝いたします。


そして中島正人さんのご冥福を心からお祈りいたします。


長くなりましたが、また次のsmile seed projectまで。